ここまで物凄くハードSFしてる映画を堪能できたのは、本当に何年ぶりのことでしょう。
一言で言っちゃうと、人類が宇宙へ移住しようとするお話です。
感動しつつ記憶を探ってみたところ、1997年のカールセーガン原作「コンタクト」まで遡ってしまいました。
…うわー…なんと17年前ですか…。
我が愛する本格SFというジャンルが、どんだけ衰退してしまったか、現実をつきつけられた様で哀しいっす。
そうです、これは、最近の生ぬるいファンタジーものと一線を画した、ど直球SFです。
「インターステラー」とはSFにおける恒星間航行のこと。
その他にも、重力によって時間の流れが変わる相対性理論やらブラックホールやら3次元を超える高次元の世界やら。
モノホンのSF好きには、
「たまんねーたまんねーもっとやってハァハァ」
という作品なのであります。
「インセプション」を撮った監督らしく、こだわりのある映像。奥深い暗喩や比喩がちりばめられ、複雑な伏線もちゃんと回収。
人間ドラマの要素もしっかり描かれているので、3時間近い超大作ですが、飽きずに楽しませる工夫はしっかりされています。
が、哀しいかな、やはり思った。
この映画を本当の意味でうきうき楽しめるのは、私の世代までだろうと。
だってこの作品の中は
映画における「2001年宇宙の旅」とか「未知との遭遇」とか「コンタクト」とか
小説における「星を継ぐもの」とか「メトセラの子ら」とか「エンダーのゲーム」とか
そういうのを、青春としてきた人だからこそ分かるオマージュでいっぱいだからです。
少女時代の私にとって、SFとは、真に知的冒険の世界でありました…。ああノスタルジー。
私は、このブログの中で、SF好きであることについて幾度か触れております。
そもそもそういう人種でなければ、銀河英雄伝説の二次創作なんか書きません笑。
同人種の方が拙作を読んでくだされば、(銀英だけでなくハガレンの方も)どちらの二次創作も、おもいっきり上記SFへオマージュを捧げていることはすぐに気づいてくださることでしょう。
あの頃、同じ夢想に浸った人間であれば、皆、発想する方向性は同じ。
事実、私の書いた銀英二次創作の未来展開は、このインターステラーのあらすじとそっくりですww。
最早この監督が他人とは思えず。共感しかない。仲間や、仲間がおる!そんな気持ちで胸が熱くなりました。
クリストファー・ノーラン監督は、インタビューに以下のように語ったそうです。
『いま、科学技術は本当に進んだけれども、スマホとかネットとかコンピュータとか、そっちの方ばっかり。それ、内向きだろう。あまりにも。どうしたんだよ!?これで人類、どうなるんだよ!?』
本当にそう。
幼かった自分が真摯に抱いた未知への憧れや、科学技術の未来への期待と夢。
今、娘を見ていて、それらが欠如している様子なのが、寂しくてなりません。
テクニカルなアイディアやプロットだけなら、日本の一部のラノベやアニメ作品は、こういう本格SFに決して負けていません。
あとは、大勢の心を動かしたり、胸に残るような、そんな物語の形にするために一番大事なものさえ備われば!
それは、「スケールの大きな夢を見る」こと。
今、物語の語り手に一番必要なのはそれだと思いました。