「け、けど、7000年って人類の歴史より古いんじゃ・・・」
ホークアイが発した疑問は、もっともなものであった。最古の文明と言われる遺跡だって、せいぜい4、5千年前のものというのが人類史の常識なのである。
「だけど、そうとしか推察できないんだから仕方ないじゃんか。」
エドワードはぶっきらぼうに言葉を発したが、金の瞳は真剣そのものである。
しばらく無言化してしまった一同の沈黙を最初に破ったのはマスタングであった。
「・・・確認すべき点が2つある。まず一つ目は、われわれの錬金術のルーツがはるかな太古の文明にあったということ。誰もその事に、異議はなさそうだな?」
静かに頷くしかない仲間たちの顔をひとつひとつ覗きこむ様にした後、続けた。
「そして残る疑問は・・・その文明が本当に我々人類のものだったかどうか、だな。」
思わずブレダとホークアイがぎょっとしてマスタングの方を振り返るが、なんとエドとアルは大真面目な顔をしたまま頷いたではないか。
「ああ、俺もその可能性を考えていた。」
「僕もです、マスタングさん。」
アルはやや神妙な顔つきで、壁に残る崩れかけたレリーフを指し示した。
「ここには、王など権力の座にあったであろうはずの人物や象徴が見られません。代わりにあるのが、あれです。」
そこには、植物群と一緒に描かれている動物たちがいた。牛や馬といったすぐにそれと分かる生き物と一緒にいる大きな猿たち。その手には、木の棒などの道具らしきものが握られている・・・。
「私は、あれからずっと考えて続けてきた。あの約束の日に起きたことは何だったのか。”お父様”とは、何者だったのか。なぜ、我々の魂が錬成のエネルギーとして使われていたのか。」
マスタングが静かに語り始めた台詞に一同は黙って耳を傾けた。
「そして、一つの推論をたてざるを得なくなった。”お父様”は我々人類とは異なる世界もしくは技術によって産み出されたもの。そして、奴がこの国で広め使っていた錬金術もまた同じ世界の産物ではないかと。」
これはあくまでも想像にしか過ぎないが。マスタングの声は低く暗くなった。
「こんな風には考えられないだろうか。はるかな太古にあったある世界の文明は、生物のもつ力を効率よくエネルギー化する技術をもっていた。そして、そいつらは、絶好のエネルギー源を見つけたんだ。我々人類という、抜群の生命力をもち勝手に繁殖までしてくれる無限のエネルギー供給源をね。」
あるいは、そのためにこそ人類を改良したのではという疑念すらもマスタングの頭にはあったのだが、さすがにそれは黙っていた。
「でも、でも、それじゃあその文明を築いていた者たちはいったいどこへ去ったのですか?」
ホークアイがほとんど叫ぶようにして尋ねたが、それに対してアルフォンスの落ち着いた声が遮った。
「可能性は2つしかありません。彼等は、家畜とした人類の繁殖力に負けたか、もしくは他の自然災害のような力によって淘汰されたのです。もうひとつ残る可能性は、彼等は来たところへと戻った、つまりもとからこの世界の住人ではなかったということですね。」
「・・・そういえば、あいつ、星の力を引き摺り下ろすとか何とか言ってたよな。」
エドワードは思わず振り仰ぐようにして空を見上げた。イシュヴァールの乾いて澄んだ空気の中では、空がとても広く近く感じる。
「・・・あいつ、ずっと独りぼっちで寂しかったのかもな・・・。」
エドがぼそりと呟いた台詞に、一同はなんだか切ないような気持ちになって、思わず一緒になって高い空を見上げたのだった。
「こんな世紀の大発見、どうなさるおつもりですか?」
全員が谷へと降りる道すがら、ブレダが上官へ問いかけた。
「さてね。どうしたものかな。」
どこかとぼけた様な返答に、ホークアイがちらりと視線を向けたのが分かった。
「ご自分が国家錬金術師でいらっしゃるし、さすがに錬金術のルーツにこんな衝撃的事実が隠されているんじゃ、公表できませんよね?」
ニヒルで鋭い思考力を持つ部下は、畳み掛けるようにして質問を止めない。
「まあな。だが、これこそが私の知りたかった事だったんだ。自分がやろうとしていた事の正しさについてようやく確信がもてたよ。」
(・・・?・・・)
ブレダが不思議そうに首をかしげたので、代わってホークアイが尋ねた。
「マスタング准将は、グラマン大総統に提案されましたよね。国家錬金術師の制度廃止について。」
その衝撃的内容に、思わずブレダだけでなく、一緒に降りていたエルリック兄弟も揃ってマスタングを見上げた。
「おい本当かよ、その話。」
「僕も初耳です。」
そりゃー極秘だったからな。マスタングは澄ました顔のまま肩をひとつすくめただけで応じた。
「だが、アルフォンス君、君には理由が分かっているはずだ。」
その言葉にはっとしてアルフォンス・エルリックは一瞬黙り込んだ。そして、おずおずと言葉を発する。
「なるほど確かに・・・。どの道このままでは・・・。」
何だよ。はっきり言えよ。兄エドは、苛々して弟の頭を小突いた。
「ここ1年で、急激に大きな錬金術が発動しにくくなってきたんだ、兄さん。同じ事を感じ始めた錬金術師たちの間でちょっとした話題になってる。」
「その理由は他でもない。あのホムンクルスが蓄積していた賢者の石の力、すなわち我々錬金術のエネルギー源が枯渇してきたからだ。」
この国に血脈のように張り巡らされていた人体エネルギーが尽きようとしている。その意味するところはすなわち・・・。
「そう。錬金術の時代は終わるのさ。」
マスタングはそう一言呟くと、気障に笑った。
「俺たちにはもう錬金術はいらないと、鋼の、お前が言ったんだぞ。」
そう、あれは正しかった。マスタングは少年の言葉に感銘を受けた瞬間を懐かしく思い出しながら一人頷く。
言った張本人であるエドワードはしばらくびっくりした様な顔つきだったが、やがていつもの不敵な笑いを取り戻した。
「そうだな・・・。歴史を俺たち人間の手に取り戻す。そうして本当の科学の時代を築くってことだよな。」
かっかっかっ。やっぱり時代はこの天才エドワード・エルリック様を求めてるってことだぜーと完全に調子に乗って高笑いを決め込んでいる。
(・・・本当にそうかも)
(何も反論できない俺が悔しい・・・)
「ということは、僕はますます別のエネルギーを使う錬丹術の可能性について研究しなくちゃ!」
「おう。頑張れよ、アル。お前ならできるって。」
ブレダもマスタングも、ますます募る敗北感に打ちのめされるしかないのであった。
「なるほど。それなら、今回の発見もしばらく公表も見送って様子を見たほうが良さそうですね。」
「ああ。そういう事だ。下手にパニックになっても困るし、こんな曰くつきの力に依存しない社会へと少しずつフェードアウトを狙うしかないだろう。」
割と真面目な施政者らしい事をいうマスタングの顔を見上げながら、ホークアイが問いかけた。
「それで・・・時が至れば、焔の錬金術師もまた廃業となさるおつもりなんですね?」
自分を見つめる真摯な鳶色の瞳に、ふっと優しく笑いかけて男は言った。
「不服かね?」
いえ。短く答えた女もまた静かな笑みを浮かべていた。
「それが一番いいと思います。」
世界にとっても。私たちにとっても。二人は思わず密やかに視線を交し合う。
そう。宿業を生んだ焔にもようやく終わりが近づいてきたのだ。
こんな風に平和で静かに迎えられる終わりは想像もしていなかったけれど、辿ってきた血の色の道程を思い出せば、これは望外の結末というべきではないだろうか。
(そして、いつの日か・・・)
ホークアイは思わず夢想するのだった。錬金術の時代が終わり、いつか錬金術師たちの存在もまた伝説となる。
その時に、かつて焔の錬金術師と呼ばれた男は、どこでどんな風に生きているのか。そして私は?
男は、何かを問いかけるような鳶色の瞳が自分に向けられているのに気づいた。
安心させるようにそっと手をとり握ってやる。すると、女もまた何かを約束するかのようにぎゅっと握り返してきたのが分かった。
そうして無言の中で交わされた約束に、二人はただ静かに微笑み合ったのだった。