ミステリー作品を宣伝する難しさよ…
出演者たちのインタビューやトークでもそれを実感しましたし、原作者様まで一緒になって「ネタバレなしでお願い」されましたから!
だから、私も今回は頑張って挑戦してみようと思うんですよね、ネタバレ踏まない感想書きとやらに。
(あ、因みに。私はなんでもかんでもネタバレ扱いで問題視する風潮には反対です。史実とか教養レベルの古典や有名原作についてまで「知りたくなかったのにー」とか被害者気取りで意見するのはさすがにどうかと)
では恐る恐るですが始めてみまっせー
①原作未読のままで観た初回
情報発表された時、大ベストセラー作家の原作なのに未読作であった事を素直に喜びました。
そして未読状態を我慢したまま遂に迎えた公開初日。
「役者が役者を演じる」→なるほど趣向として面白い
「二重三重のトリック」→意味は理解できたと思います
「驚愕のラスト」→うーん🤔さすがにそこまでの意外性はなかった気が…
私は偉そうに語れるほどミステリーに詳しくないですが、トリックそのものには宣伝で煽られている程の驚きはなくカタルシスも得られませんでした。
そしてそれは、(勇気を出して書きますが)映画の脚本演出のせいではなく、そもそも古い作品だし原作がそうなんだろうと考えました。
では、本作の魅力とは?
それはやっぱり、劇団員という特殊な世界と能力を持つ者たちによる、探り合いやぶつかり合う心理戦。そこにあるんではないかと感じたんですね。
その点では、文句なしの見応えでした。さすがに実力派若手を揃えただけあったと👏
つまり要約しますと、この時点での私の感想は以下↓の様なものでした。
「本格ミステリーを期待した人には少々肩透かしだろう。けど、若手の演技合戦を楽しめる人には刺さる出来栄え」
②原作を読んで改変箇所に驚き
さすがに東野圭吾作品は読みやすい!(これは全力で褒めています笑)
帰ってきてすぐに一気読みしました。
そして、いやー(^◇^;) びっくりしましたよ。物凄く大きな改変がなされていた事に!😂
私個人としては、原作ものを他メディア展開する際には改変があって当たり前だと思ってますんで、その事を疑問視したわけではありません。まして、実写化改変には大変寛容な事で知られる大作家先生の作品ですんで、そこは無問題かと。
恐らく尺や映像化の都合で省かれたり変えられている点は結構あって、そこがミステリーとして薄味な仕上がりになった原因かな、とは思いました。具体的には、
- 山荘の立地や所有などに潜んだ事情
- なぜ主人公を含むこの7人が集められたのかの理由
- 劇団内での複雑な恋愛関係
- で、偉い演出家センセイは本当はどんな状況?
このあたりが抜け落ちたために、そもそもなぜこの事件が起き得たのか、という点の説得力がかなり弱くなってしまった感は否めません。
ですが、私が心底びっくりしたのは、主人公久我と間宮演じた本多、この両人のキャラがほぼ別人レベルに改変されていた事の方でした!
- 原作での本多は、演技実力者なれど無骨で男臭いだけのやや地味な存在
- 原作での主人公は頭は切れるがかなり計算高く、美貌の令嬢由梨江に近づく動機で入ってきた
いやあ…驚きでしょう?
改変の理由として真っ先に思い浮かべたのは、キャスティングを優先した結果、役の方を俳優に寄せたのかなって事です。まあ、それも仕方ないかなーって、この時ちょっとだけがっかりしたのも本音です。
ところがですね、驚きはこれだけで終わらず、なんとキャラのほぼ全員が映画で受けた第一印象と大きく食い違っていたのです。原作イメージを踏襲してたのは岡山天音くんのキャラくらいで、えー元はこんなキャラだったの?のオンパレードでした。
こうなると、単純にキャスティング都合だけで全てをこうしたとは最早思えず、プロデューサーと監督には明確な方針や狙いがあったのではないかと思えてきました。
なにを狙ってこうしたのか?そしてこうした結果・効果はどうだったのか?
私なりに色々と考え始めてみたものの、2回目の鑑賞でその疑問を整理したり検証したりすることになりそうだなと思いました。
③2回目の鑑賞では初回にはなかった見応えと感動が
2回目は舞台挨拶ライブビューイングつきでの鑑賞でした。
本作で間宮氏と初共演だった主演重岡くんは今回もすごくハイテンションで明るく飛ばしており😂😂、ファンの方が彼を(^ワ^=)(ワーイしげちゃん5歳)みたいに愛でている呟きを結構お見かけしたんですけど、その度に可愛くってクスクスしちゃいましたね。
私の体感では、この作品の初動はかなりヒットしている様に思います。いつも間宮氏がJ系の方と共演すると、その集客力や人気に心から感心させられるのですが、今回はそのファン層だけではなくもっと広い年配や男性なども多く見かけました。これは、東野圭吾ブランドに加え、我々の予想以上に頑張っていた番宣の成果だったと思うんですよ。辛めの評価レビューも散見されますが、それは出演者ファンだけが観ているのではなくミステリーファン層にもリーチできた証拠でもあるので、制作陣も出演者ファンもネガティブに受け止め過ぎる必要はないと思います。
そして迎えた2回目。明らかに初回よりも楽しんでいる私がいました。
全ての結果を知った上で、さらに原作と比較しながらの鑑賞なんて、普通は面白さ半減しそうなもんじゃないですか?
ところがですね、「あ、ここはそういう意味だったのか」「なるほどこういう改変か」と細かい演技や演出を確かめながらの鑑賞が意外なほど楽しかったんですよー。
それで気づきましたね。本作は「あっと驚くミステリー」として作られたのではなく、最初から「役者が役者を演じる妙味」を最大限に味わう事に狙いを絞って作られたんだって事が。
そう考えればキャスティングの意図も理解できるのです。恐らく制作が目指したのは、原作キャラの忠実な再現ではなく、演技に演技を重ねる様な複雑な表現だったので、その要求に応えてくれる実績のある役者を集める事の方が重要だったんでしょう。
我が推しの見せ場だけを挙げてみても、わざと観客に「ん?」と引っかかりを覚えさせる様な発声での台詞や、ここぞという場面でドアップで見せてくれた睫毛や唇のかすかな震えなど、完璧にコントロールされた技術に、「さすがやわたまらんわ最高かよ」の絶賛止まりません😂
しかも、単純な若手実力派大集合の演技合戦という話だけでもないぞと思ったのは…
間宮氏がインタビューなどで語っていた「俺には芝居しかねえから」という台詞。
彼はこれを少し照れくさかったと言っていましたが、照れ臭いどころじゃなく、この映画オリジナルの台詞こそが「なぜこの物語が始まったのか」その核心部分そのものであった事は、私にとって嬉しい驚きでした。ここに、プロデューサーが本多をもう1人の主役と語り、どうしても間宮氏に演じて欲しかったであろう理由の全てが詰まってます。
記憶が曖昧で恐縮なのですが、東野圭吾氏は若い頃自主映画なども作っていてご自身も演技の心得があり、確か作家ばかりのパーティーの余興で芝居を披露して驚かせたというエピソードもどこかで読んだ覚えがあります。だからなのか、原作には芝居に賭ける若者達へ向ける優しい目線も感じられるんですが、映画では、そのエッセンスをより純度を煮詰めて見せてくれたなぁという気持ちになりました。
主人公が原作と違ってピュアさを感じる青年になっており、本多という看板役者に憧れを持って入ってきた事。それが大いに意味ある結果を生み出す映画オリジナルのラストシーンを迎えます。
とても爽やかで、芝居に賭ける彼らの青春を思わず応援したくなる、この物語をそう帰結させた手腕には素直に拍手を贈りたいと思います。ありがとうございました😊
最後に。本当に蛇足で申し訳ない。
そういえば大昔に、この雑多なブログ内で東野圭吾さんの作品について感想書いた事がありました。もし超おヒマな方がいればご笑覧ください。
【読書感想】東野圭吾_秘密