エンダーのゲーム(SF小説)オースン・S・カード
例によって、長~く積ん読状態にあった山から、ようやく読むに至った本。
買ったのいつだっけ?と考えてみたが、全く思い出せない。多分20代の頃。
今頃になってなぜ手にとったかといえば、これをディズニーが映画化すると聞いたからです。それも実写!!
名作との呼び声高いにも関わらず、絶版になっていたゆえに、中古価格が高騰していたということも今回初めて知った。
映画化をきっかけに、新訳本が出るそうなので興味をお持ちの方はそちらを買う事をおすすめします。
やはり旧訳は、読みにくいですよ。
ハリポタ感想で訳の悪口書いちゃいましたが、よく考えたら、昔のSFで悪訳には慣れっこだったはずなのでした。
私は読むのがかなり速いので、おかげで量はこなせるのですが、代わりに、じっくりと文章を味わうという読書ができません。
やりたくてもできないのです涙。
思い当たる理由は2つあります。
1つ目は、幼少期から親・祖父母の本棚から拝借してきて勝手に大人の本を読んでいたこと。難しい言葉とか、よく分からないところはすっとばすというのを、今でも躊躇いなくやってしまいます。
2つ目に、SF(とミステリ)で、悪訳本を大量に読んだこと。細かいことなんて気にしてたら、当時のSFなんて誰も読めませんでしたよ笑。結果、私にとっての読書とは、アイディアとプロットを楽しむものとなってしまいました。
さてさて。そんな私ゆえに、この作品を読んだ後、しばらく呆然としてしまいました。私は、いったい何を読んでしまったんだ?という気分になり。
読んでる最中から、SF小説の範疇を大きく超えて物語が深くなっていくのを感じ、幾度も「えっと、これリーダーシップ組織論の本?」「行動心理学?」「つかほとんど宗教か哲学じゃんか」などと呟いておりました。
舞台設定は完全なる宇宙戦争ものです。人類は昆虫型異星人と戦争してます。
主人公エンダーくんは、文字通り「終わらせる者」としての使命を背負わされた天才少年です。
まだ小学生の年齢だというのに、数々の試練に対峙し猛烈なスピードで成長を遂げていきますが、それが全て人為的に行われているというところが重要であり、この本の白眉。そう、これは「天才を作る」物語なのです。
読後、解説を読み、この物語がもとは短編であった事を知りました。そして全てが腑に落ちたのです。
恐らく映画化されるパートは、少年が成長し知略を尽くして勝利するまでに的が絞られるでしょう。それこそが短編のエッセンスであり、エンタテインメントとして完璧です。
しかし、長編化にあたり付け加えられた要素というのは、多分に主人公の精神世界を深く掘り下げるもので、これによって作者が真に伝えたかった事があるはずなのです。観る前から決め付けて悪いですが、この要素を映画で表現するのは、ほぼ不可能でしょうね。
名作と呼ばれる本が、常にそうであるように、この作品は様々な読み方ができる物語です。
素直にSF小説として設定や世界観を楽しむのも良し。ゲームシナリオのように、次々と繰り出される戦略や戦術を楽しむのも良し。少年の成長物語として読むのも良し。
私自身は、これは「天才の孤独」が描かれている話だと受け止めました。衆に抜きん出て秀でるということは、かくも宿命的に孤独なのです。人は優れているというだけで、ただ強いというそれだけで、人を傷つけてしまうものなのです。
自分の居場所はここにはないと感じ、常に周囲には遠まきに巻かれ、時として下劣な悪意に翻弄される。優れた仲間とめぐり合い、ようやく友情を築けたような気もするけれど、優れた者同士でも嫉妬や競争心とは無縁でいられず、優れている故に優劣ははっきりと互いに見えてしまっている。そんな悲愴なまでの天才の真実を、この作品は見事にえぐり出していて、胸が痛いほどです。
よくある少年のバトルやスポ根ものの様な、単純な格闘力や超常能力パワーアップとは明確に違います。主人公に共感をもてるかどうかは人を選んでしまうかもしれませんが、重さに見合うだけの価値ある本だと思います。
最後に。全く蛇足ではありますが、主人公の天才少年はものすごいシスコンです笑。ついつい誰かさんを連想してしまいます。
ま、そういう楽しみ方もあるってことで笑。
エンダーズ・シャドウ(SF小説)オースン・S・カード
「エンダーのゲーム」が大ヒットしたので、シリーズ化された様子です。
ただし、いわゆる単純な続編はどうやら一つもなく?、2~3作目は3000年後の世界であるとか。
私が、複数の入手済みシリーズの中から、4作目??にあたるらしきこれをチョイスした理由は、この本の設定にありました。
この物語は、初作「エンダーのゲーム」とほぼ時間軸を同一にして、別の登場人物の視点から再構成されたものなのです。
つまり、原作者本人による二次創作!私がこれに興味を覚えない訳がありましょうや笑。
案の上、まえがきの部分でいきなり「小説的実験」という言葉にぎくりとさせられてしまいました。視点を変えて紡いでみる同一にして別の物語・・・。私自身がやりたくてたまらない事を、ずばりと「やってみたよ」と軽~く宣言されて、敗北感でいっぱいに笑。
ちぇっ、世界は広いなあwww。
結論からいうと、この本はエンタテインメント小説として、初作より優れています。短編を長編化した事で深みを得た代わりに、失ってしまっていた「明快さ」を物語に取り戻すことに成功しています。
「エンダーのゲーム」で、何やら宗教的な生命観というか宇宙観の様なものをくどく感じてしまった読者なら、絶対にこの作品を続けて読んでみて欲しいです。この物語のもっていた本来の輪郭がくっきりとした線をもって浮かび上ががり、魅力を再認識できることでしょう。訳もいいです。これくらい読みやすければ文句ありません。
第二のエンダーである天才少年ビーン君が、自分の前を行く天才エンダーを激しく意識しつつも、どうしようもなく魅了され、いつしか彼に認められたいと願う。そして自身の理想の英雄像をエンダー君の中に見出していきます。
ああもうこれ私の大好きなパターンです。銀河英雄伝説でもハガレンでも描かれた天才・超人たちのぶつかり愛。こういうのにワクワクしない人なんているんですかっ?人によっては竹宮恵子の世界を連想してむはーできるのではないでしょうか。(私はしました笑)
先日、NHKで将棋の谷川棋士のインタビューをやっていました。天才と賞賛され向かうところ敵なしを謳歌していた頃、出現した新たなる天才羽生。いやあ、ドラマチックですよねえ。
あるいは、球界を代表する名選手でありながら、ずっと頂点を味わえずにきていた星野が、ついに宿敵巨人打倒を執念で成し遂げる。いやあ、ドラマでしょう。
人は天才の物語に何を見たいのでしょうか。
憧れ?夢?理想?
そうかもしれません。でも私はそれだけじゃないと思います。人は、天才であっても、やはり人間の物語を読みたいのです。その人物が何を感じ、考え、どう生きたか。それが描かれてこそ、読者の感動を呼ぶと思うのです。
この作品は、本人も作中でどんどん人間味を増していくビーンの視点を通すことで、初作ラストでは何やら”神”みたいな色彩を帯びてしまったエンダーが決して万能ではなかったという点をきちんと補完しています。エンダーが善なる少年でしかなかったこと、それなのにストイックに戦い続けたこと、その涙ぐましい一途さを思い出させてくれます。傑作です。