かつての私は、活字中毒女でして、余暇の多くを小説とマンガ読みに費やしてきました。
映像も見なかったわけではないのですが、映画ならともかく、TVの連続ドラマというのは、一つの物語を楽しむ手段としては恐ろしく時間効率が悪い。
ぶっちゃけ、1話分の1時間あれば、軽めのものなら文庫1冊、コミックなら3冊くらいは楽勝で読めてしまうわけですよ。
おまけに、近年では小説・マンガ原作がそのままドラマ化されている割合がどんどん増えていて、TVドラマでなくては楽しめない物語というのがほとんど無い状況になりつつある。
これでは、ますます、ドラマを見ようとする理由がない…。
では、今、あえてTVドラマを見る強い動機を持つとしたら、それはいったい何なのか 。
それをじっくりと考えるきっかけをくれたのが、このドキュメンタリーシリーズでした。
<小栗旬>編
スーパーブレイク渦中にあった彼の壮絶な状況が赤裸々すぎるほどに。
一緒に観ていたダンナが、すっかり小栗の仕事に興味を持ってしまったらしいのだが、それが全てを語っている。
要するに、男が見てもかっこいい男であったということだ。
<福士蒼汰>編
こちらもブレイクに置かれた状況をとらえたものなのに、小栗編との違いが余りにも興味深い。
小栗がはっきりと自分の意志で荒波に飛び込んでるのに比べて、福士が困惑の中にある様がありありと浮き彫りにされていた。人気が先行してしまい役者としての実力はまだまだこれから。そして、それを自覚できてしまうからこそくる苦しさ。
だが、きっと彼なりのペースとやり方で乗り越えていってくれることだろう。応援したくなる。
成人式の日に仕事に向かう車中から晴れ着の同世代を眺める福士くんを見て、私は思わず、同い年の間宮くんが、まさにその日、成人式ツイートしていたことを思い出したのでありました。(どこの華族の御曹司かと思うような、育ちの良さを隠せてないお写真ツイートでございましたね笑)
恵まれた家庭で大切に育てられたであろう間宮くんと福士くん。同じ仕事を選んだけど性格は随分違ってる二人。
間宮くんは自分の意志でこの世界へ飛び込んだ小栗パターンで、今でもツキが欲しい仕事が欲しいと七夕に短冊書いちゃうハングリーな男笑。対して、福士くんには降る様な仕事があって、それに溺れまいと必死。そんな二人が今この時期に共演したことは、きっと意味がある。
それぞれどんな役者人生を歩んでいってくれるのか、本当に楽しみに見守っていきたいと思います。
さてと。それぞれの感想はそんな感じで。
本題に戻ります。
ドキュメンタリーとは、フィクションでない真実を見せようとするもの、であるはず。
だが、真実とはいったい何だろう?
ただカメラ回して写ったものを見せればそれで伝わる、そんな単純なものでもないだろう。
ましてそれが実在する人間を追ったものであれば。
我々に見せられた彼らのリアル。それは、取材を通じて制作者たちが感じ取った、「これこそが彼のドラマ」という箇所だけを、視聴者向けに一遍のストーリーになるよう編集した結果に過ぎない。分かってる。
それでも、そこには、生き急ぐかのように人よりはるかに密度の濃い人生を歩む姿と。うらはらに、あくまでも普通の悩みを持つ人間としての姿。双方が映し出されていた。
あんな姿見せられたら、そりゃもう彼らがどんな気持ちで仕事に向き合ってるのか、気持ちを寄り添わせたくなってしまうよね。
結局、ドラマとは人なのだ。
実は、最近の私は、TVドラマを、役者チェック目的で見続けることに、虚しさと少しの罪悪感を覚えていた。
自分は歪んだ見方をしてるよなって。もっとピュアにお話そのものを楽しもうとすべきなんじゃないかなって。
けれど、ようやく分かった。私の楽しみ方は、別に間違ってない。
人は、物語というフィクションの世界を楽しむ時に、自分や身近な何かを重ね合わせることで理解し共感しようとする。
俳優が演じる映像作品の場合には、それが、フィクションと演者と自分、それぞれの世界を繋げ組み合わせることで、多層的な楽しみ方が可能だ。
要するに、「この役者がこの役をやる」「この物語を通じて役者がこう変わる」そしてそれを見守る自分、それぞれに特別なドラマを見出せるという訳である。
そして、映画にはできぬTV連続ドラマならではの魅力とは、他ならぬ「時間がかかってる」これに尽きる。
消費物としてだけ捉えたら、単なる時間効率の悪い娯楽でしかないものが、視点を変えて見れば、一つの物語をある役者が演じ続ける様をじっくりと堪能し、自分の心の変化までも楽しめる、とても贅沢なものになるのだ。
まして、今は、SNSで簡単に視聴者同士が感想を呟き合い繋がることができる。
次はどうなる、とか、誰それがいけてる、とか、言いたい放題感想ぶつけ合いながら。
時によっては、我々の反応が シナリオに影響を与えたという実感すらもてたりするんだぜ。
同じことが、映画鑑賞中にできますか?無理っすよね?
だからね、TV局さんと芸能事務所さんは、どうせ番組宣伝するならば、顔だけ映ってますというようなゲームやクイズに興じさせるバラエティに出すことばっかりに血眼になるのはやめましょう。
視聴者は、役者としての彼らの素顔と思いを知りたがってる。その上で役のキャラクターを深く愛せる。
演者たちの素顔が見えるメイキングや彼ら自身の声で思いを語らせるインタビュー映像にこそ、労力とお金をかけるべき時代なのだ。役者たち各人の努力に任せっきりにしてたらアカンやないの!
弱くても勝てますは、あんなにドラマとしてつまらなかったのに、なんだってあんなにキャラ人気が出たと思っとるんだ?
Web画像と役者たちが赤裸々に出していったバックステージ事情が興味と共感を広げたんだよ!
(あたし、実は、これこそがよわかて制作者の”実験”だったんじゃないかと秘かに疑ってる。役名が、どれもこれも珍名・奇名だったでしょ?あれ、私が趣味でつけてたweb反応の数値をキャラ別に評価するのにノイズなくやれて快適でしたから笑)
メイキングを特典映像としてDVD-BOX収録してマネタイズ~というのがお約束のようですが、放映中からどんどんあげていくべき。どの局もまだまだwebの使い方がおっかなびっくりすぎて下手だなーって思います。
多分、TVドラマの社会的役割は、昔とは全く変わってしまったんだと思う。
でもそれは、別に無価値になったという事じゃない。
フィクションと偶像である役者と自分のリアルを結びつけながら、世界は一緒に夢を見る。
うん、それでいいんじゃないかと、私は思いました。
少なくとも、独りだけで本と向き合っていたのとは異なる遊び方を、今、私は心から楽しんでいます。