最初に申し上げます。私には、この舞台の感想書く資格はまだない笑。
(だから、ちゃんとした感想を読みたい方はどうぞさよならなさって下さい。お願いします)
観劇したのは昨日でしたが、ご一緒した方にも「これ、ブログに感想かけそうもないわー」とぼやきました。
理由?
決まってます。この舞台の完成度が高すぎたからです。
・俳優陣のレベルの高い熱演
・無理なく舞台向きに練られた脚本
・すばらしい会場設備に
・プロジェクションマッピングなどの豪華で先端的演出技術
一方、私はといえば、まだ観劇ライフをはじめて間もない舞台初心者。
ただ圧倒されてしまい、間の抜けた「面白かったー」ということしか言えなかった。
事実、帰りの電車の中で、備忘録のつもりでスマホに感想をメモしようとしたんだけど、たった一言
「小栗旬 足 異常長い」
しか書いてないとか。…私、アホなの?
本物に出会った時って、そしてそれを自分が咀嚼できてないことを自覚する時って、こんなに悔しい思いを味わうもんだったんですねー。
若い頃には、結構こういう感情を抱いた記憶もありますが(私、負けず嫌いの子供でしたから笑)、こういう感情忘れて久しかったです。
このトシで思い出せて、ちょっと嬉しいし、幸せ、かな?
この舞台にお誘いくださった方は、熱心な小栗ファンでしたが、ビリー役の大東さんもお気に入りらしく、褒めちぎって私を洗脳しようとしてました笑。
言われんでも、私にも彼の素晴らしさは分かりましたぞー。
どもりで引っ込み思案の金髪童貞美青年とか、演技巧者なら泣いて喜ぶ美味しい役。
私ですら、「あの役を間宮くんが演ったなら」と一瞬妄想がよぎりましたから、きっと若手俳優好きなら、誰もが自分のご贔屓に演じさせてみたいに違いない笑。
それを見事ゲットして賞賛浴びてるんですから、若手の中でも、実力も人気もある方なんでしょう。
ぜひまた別の舞台で見てみたい役者さんですね。
私は、小説も映画もどちらも観ずに、この舞台を観劇しました。
従って、それらと比較することもできませんが、多少のトシの功で、ある程度想像できることもある。
これは、本来非常に社会的メッセージ性の強い作品で、恐らく左派的反体制運動が吹き荒れた時代を背景にした「人間の自由・と解放、そして尊厳」を考えさせる物語であったはずだ。(当時、評価された作品の多くがそういう傾向だったので)
だから、リメイクや舞台化をセンスの無い人たちがしていたら、現代にはとても受け入れられないピントのずれたものになってしまっていた事だろう。
私は、政治色の強すぎる作品は趣味ではないし、今更リベラリズムだろうがネオリベラリズムだろうが説教臭いのは御免こうむりたい派である(だから当時のアカデミー賞ものは避けがち)。
だが、この舞台では、その点をうまく処理してあったのではないかと想像する。恐らく、キャラの設定も少し変えたりしたのでは?
古臭い政治色を削ぎ落としたそこには、普遍的で強い問いかけだけがただ残る。
「人間の自由とは」
残念ながら、そこに答えはない。
ただ、観客が心で受け止め自分の頭で考える、そういう舞台になっていました。
だから、以下は、ただ私がどう解釈し、受け止めたかという個人的メモとなります。
「自由」のもつ残酷な面がはっきりと描かれている点が、この物語の白眉であると私は感じました。
・精神病患者の多くは、実は強制されているワケでもないのに、精神病院に留まっている
・なぜなら、彼らは弱い人間だからだ。
・完全なる自由な世界なんて、実は究極の弱肉強食の世界なのだ。
・それを彼らは本能で恐れ、知っている。
・だから、婦長の精神的支配を甘んじて選択し受け入れてしまう
・支配者は、規律と平安を目指していたのであり、決して最初から支配が目的であったわけではない
・だが、自らが支配者にならない限り、必ず被支配の立場を受け入れるしかない。それが社会の掟。
・自由を求めるという事は、支配者へ挑戦するということであり、それは自分が支配する側に立つということでもある。
・支配されることを受け入れらず、支配者に勝つこともできなかった時、最後の自由は魂の解放=死しかない
・さもなければ、社会・組織から逃げきるのだ。独りきりになって。
以上です。