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Channel: 妄想泥棒のブログ(銀英伝・ハガレン二次創作小説とマンガ・読書・間宮祥太朗ドラマ感想)
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【映画感想_破戒】こんな間宮祥太朗を待っていました

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TVドラマ連投が続いている今の間宮氏は勢いある売れっ子で、ファンは嬉しいに決まってるのですが…

贅沢な望みとは知りつつも、「映画で、しかも重厚なテーマの文芸作品を演じる間宮氏を観たい!」という、秘かに抱いていた願望を叶えてくれた本作です。

長い間ずっと、こんな間宮祥太朗を待ち望んでいたんです。本当にありがとうございました😭




①まずは格調高い美を素直に味わう


間宮祥太朗の瀬川丑松は美しい。

そうババーンと宣伝されていますが、大いに期待を膨らませてもらって大丈夫。必ずや期待に応えてくれる美しさでした。



しかし、この「美しい」が、単に見目麗しいというだけの意味でない事は、見ていただければ必ず分かると思うのです。知性と品格と哀しみ、何よりも人間としての気高さが見事に体現されている、そういう深い“美”なのですね。


なぜこの役が、間宮祥太朗でなくてはならなかったのか、その理由がここにあります。

当時の因習では「賎しい身分で賎しい仕事をしている者達。従って外見も汚らしく賎しいのだろう」という酷い偏見があればこそ、

劇中で「まさか君が」と言われる事に説得力を持たせてくれる佇まいと風貌を備えた役者でなければならない。

間宮くんの武器である古風な美貌に加え、滲み出る「育ちの良さ」「知性」「内に秘めた熱さ」が見事にはまっておりました👏



また、子供たちに対しても丁寧な敬語で接していましたが。

これが、主演として脚本段階から関わった間宮氏自身が提案して作り上げた丑松像だったと知った時、私は感動してしまいました。


初稿では時代背景的にもっと教師的な口調だった台詞を、

「子供達を尊重し対等に接するキャラクターが相応しいのでは」と敢えて提案した、と。

結果は見事です。現代の感性をもって見ても、非常に高潔な青年となっていました。



この役と作品への理解。そして責任感を背景にした提案力。どちらもナンバで突然身につけたものでなく、主演という器が与えられれば、いつでもそれが発揮出来るほどに成長を遂げていたのですね…。しみじみと嬉しかったです。



②静謐に込められた美意識は私の理想とするものだった


「秘すれば花」という有名な能の奥義の言葉がありますが、一説によれば日本人にしかない独特の美意識だと言われております。

隠さずに申しますが、私はこのドメスティックで古い美意識の信奉者と言っても過言ではなく😂、いつからこうなったか自分でも分からないので、多分育った家風の影響と、鍵っ子だったせいで一人で家の古い本棚を読み漁った子供時代に、無意識に刷り込まれてしまったものと思われます。



だから丑松と志保が、互いに思いを口に出来ず、ただ黙って視線を交わし合うだけ、とか。そっと手先が触れ合うかどうか、みたいな奥ゆかしい恋の表現には

「コレですコレですコレッ」

って一人ふるふる身悶えしてました(←とても気持ち悪い)

「愛してる」とか大声で叫んでハグーみたいなのには鼻ほじって白目剥いてまう私にとって、感涙ものの理想の恋人達でした!



加えて、丑松が「心に戒めを秘めて」生きる人間だった事もあり、穏やかな口調で決して多くを語らない。だからこそ激しい言葉を発してしまった瞬間は目にも心にも焼き付きました。


間宮くんは

「水面が鏡のように澄んで張り詰めている所から、石が幾つも投げ込まれて波が立っていくイメージで演じた」

と詩的な表現で演技プランを語ってくれましたが、その通りに演じ切った演技力も、それを的確に言葉にして伝えてくれる能力もどちらも素晴らしい。




全ての演出が過剰を排する美意識で貫かれており、台詞の無い静寂の中、演者に存分に目と背中だけで語らせたシーンも印象的だった。原作は丑松のモノローグで成立している様な作品なのに、それらを敢えて台詞化してないという事なんですよ。

この方針は本当に素晴らしい成果をあげていて、登場人物たちに作り手の思想を語らせちゃってる作品なんかよりも、遥かに深く考えさせられる。



人として何が正しく何が賎しい事なのか。

「教育は大事だ」というミニマムな劇中台詞に込められたメッセージは、「こういうのが悪」と一方的に提示されるよりも、自分で考えられる人間にならねば、と素直に心に響きました。



要するに、以下の余りにも端的で見事な間宮氏の言葉が、ここで私の伝えたい事の全てです。

「この作品をやることは、自分がインタヴューで「やっぱり差別はダメだ」と言う言葉よりも雄弁だと思う」



③人間は弱い。弱いから差別する。


登場人物には色んなタイプの「弱い人間」が登場し、リアリティを感じました。


「女性も社会進出する時代ですよ」などと先進性を気取る癖に、実は女癖悪く誰よりも差別主義者な同僚教師なんて、「いるいる!プライドばっかり高いこういう奴いるいる!」でしたし、



権力に弱い校長、金と野心のために被差別民の妻の財さらには暴力まで利用する議員は、あまりにも当たり前に現代にもいそうな人たちです。



矢本くん演じる親友が、悪気のかけらもなく周囲に合わせて差別的台詞を吐いていて、それを深く悔いるところがとても普通の人間らしく、自分だったらどうしただろうと一緒になって泣かされた。



眞島さん演じる猪子の存在感は抜群でしたが、猪子と主人公丑松の双方モデルとなった方(被差別民である事を公表して長く教職を務めていた)が実在していたらしいという事にも驚きました。



あと、醜悪な癖を持つ住職と、士族の出でありながら落ちぶれて酒に逃避し子供に苦労かける志保の父親。この二人には、実存した島崎藤村の父親像の投影を感じてしまいましたし、実はこの作品を書いた後の藤村自身が辿った人生を思うと、結果的に自分自身の所業への許しを乞う様な予感と恐れにすら見えて来て…人間という存在の因業さを痛感させられてしまいます。





この様な群像の描写を踏まえてこそ、

「差別をなくす事は難しいだろう。なぜならば」

「人は弱い。弱いから差別する」

この言葉が我々の心に突き刺さり考えさせられる。そういう物語になっていました。


差別とは、悪意ある権力や多数派が作り行うばかりではありません。

ユダヤ人差別やカーストなど、人々が依存する宗教や思想などを通じて道徳観と結びついてしまった場合は、むしろそちらの方が正義とされてしまい差別と認識されない社会になります。


更に根深いのは、人は自分が弱者であり被害者だと認識した場合こそ、むしろ酷く攻撃的で差別的言動をとってしまうケースが余りにも多く、差別の意識なく攻撃を正当化してしまうのです。



例えば、皆さんもどこかでこんな声を見かけた事がおありではないですか?

「男なんてみんな痴漢予備軍」

「威張ってるだけの役立たずバブル世代なんてみんな辞めるべき」

「政治家なんてみんな金のために動いている悪人ばかり」

こういう台詞を、

「自分は絶対に言わない、私は差別などしませんから」

と断言出来る人の方が少ないのではないでしょうか?



「人はそれぞれ心の中に別の世界を持っていて、それを通して世界を見ている。だから、世界を変えたいと思うならば、それぞれが自分の世界をまず変える事が必要。この映画を見た後、世界が変わって見える、そういう体験になればと願う」

間宮氏の、ある意味観念的なコメントは、咀嚼に少々時間を要しました。我が推し、時々びっくりする様な深くて難しい事言うからさ笑



私の場合は、自分の中にある弱さに起因する攻撃性を結構自覚してしまっているので、以下の様に解釈致しました。

「他者に差別をやめさせたり、社会に訴えようとするその前に、先ずは自分の弱さときちんと向き合ってみる。自分自身に原因がある事を自覚できれば、無闇に怒りの矛先を他者に向けずに踏み止まれる」


さて皆さんは、どの様に受け止められましたか?😊



④物語として伝える意義は大きいと信じる


私が育った町では、あからさまな部落差別を見聞きした事などなく、学校での同和教育も全くありませんでした。歴史で習った知識としてのみ知っていた、という感じなのです。

恐らく私が初めて部落民の存在を物語で意識したのは、白土三平の「カムイ伝」だと思います。でも、子供にとっては妙に暗い忍者マンガだったなあという感想しかありませんでしたし、アレが被差別民が力を求める闘争の物語とは、到底気づきもしないで読んでいました。



そういう事実があるので、「差別の歴史も、差別用語も、わざわざ描いて世に出す事は差別の存命と助長にしかならない。」「ただ風化させて消えて無くなるのを待ちたい」その意見には理解できるものがあります。長く苦しんだ当事者の方たちの声であればなおさら。


しかし、もしそうしたら。この問題を理解し味方になってくれる人すら増えずに、いずれいなくなってしまうという恐れがないでしょうか。そして、一度忘れ去られてしまったら、再び同じ事を繰り返してしまうのが、愚かな人間というものなのではないでしょうか?



米国で黒人差別の歴史を描いたグリーンブックという映画があります。アカデミー賞をとったのでご覧になった方も多いでしょう。個人的には邦題「ドリーム」というNASAに貢献した黒人女性達の映画も忘れ難い。

いずれも、黒人差別の愚かしさ不合理さを描きつつ、その歴史を知る事で過去への反省も未来への希望も感じさせてくれる名作でした。あの様な物語の力を通じれば、差別が助長されるとは断じて思えません。



この「破戒」も同じくらいの力のある作品だと思いますし、ましてや、かつて一度は発禁となった歴史すら乗り越えて読み継がれてきた作品です。

「原作に比べて美しく描きすぎだ」という意見もあるでしょう。しかし、この物語を現代に甦らせるにあたり、「希望の物語」となっている事は、より多くの人に受け入れられ見てもらうために重要な要素なんだと思います。


色々な事情があるのでしょうが、是非、上映館を増やして欲しいと思っています。

必ず多くの人たちの心に響く作品です。どうかよろしくお願いします。




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